近野駅改掲示板

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徒労に賭ける その15を更新。

朝晩は涼しくなったが、まだ昼は暑い。いま中二階は三十四度。

一週間前よりはマシだ。

 

門崎(とさき)砲台の説明会に行ってきた。

一日目の午後の部だったけど、人数が多くて二回目の説明まで二十分ほど待つ。一回の人数は二十人ほど。足場がよくないので黄色の規制線が張ってある。

私は全然知らなかったけど、昭和三十年くらいまでは砲台も観光地だったようで、その当時の白黒写真も見せてもらった。確かに剥き出しの砲台の前に帽子姿の女性がいて、砲台の向こうには旧式のボンネットバスが停まっている。砲台は敗戦で無用の長物になり、当時の南淡町の所有になったようなのだ。そこから私も見覚えのある「みさき荘」という観潮レストランが建設されたのだが、その町営施設のはずの建設経緯がよくわからないらしい。砲台が潰されたのか、そのまま土に埋まっているのか。どこかに書類が残っていそうなものだが……。

とにかく、そのみさき荘も老朽化で建て直すということで、埋蔵文化財の確認調査で見つかったというわけだ。砲台は明治時代のトーチカ式で、ちょうどスリッパの先端に穴が開いて砲身が覗いている感じだ。それが横に二つ並んでいて、いま露出している左側にも同じ砲台があったらしいが、その上にはいま灯台が建っているが、灯台の下にどういう状態であるのかはわからないそうだ。

露出しているほうに話を戻すと、スリッパの足を入れる側から土砂を詰められた上で盛り土をして、砲台は見えなくなったようだ。この前の書き込みで、トーチカの上部が削られていると書いたが、どうもみさき荘の基部がトーチカの基礎とくっついていたので取り去ったのが実情らしい。

みさき荘新築時は、ようするに戦時中の施設など残す価値のないものだったのだろう。さんざん偉そうに喚きたてて人をこき使った挙句にボロ負けした軍隊を、まあ無視したくなる気持ちもわかるが、土に埋めてしまうとそれを学ぶこともできなくなる。やや事情は違うが、十年くらい前だったか、中国で事故を起こした新幹線を土に埋めた一件があった。面倒なものは埋めてしまえ、という感覚は同じようなものだ。戦争に興味のある私が、昭和三十年までは普通に見られていた巨大な砲台をまったく知らなかった。そんなことになってしまうのである。

砲台はみさき荘の基礎になった挙句、忘れられて、見つかった時にはボロボロになって残そうにも残せなくなった。精密調査して3Dデータは残すそうなので、仮想空間では見ることができる…予定らしい。