「戦争は女の顔をしていない」「チェルノブイリの祈り」と、わが図書館にある
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの本はすべて読破。あと「アフガン帰還兵の
証言」を読みたいが、残念ながら蔵書がないようだ。島内の他の図書館を探して
みたところ、南あわじのほうに一冊あるのだが、他所の自治体住民に借りることが
できるだろうか?可能だとしても、ちょっと二度も出向くのは面倒だ。ガソリンも
使わなきゃならないしなあ。
アレクシエーヴィッチの本は、どれも心にこたえるものばかりだ。日本人の書いた
ものと、表現のしかたが違うところも、ずっといい。同じインタビューでドキュメン
タリー形式でも、日本のものは、くどい気がする。同じ日本人だから、同じような
感覚だから、そうなるのかもしれない。あっさりしているというか、冷徹というのか。
残酷なことがより身に染みてわかる気がする。
図書館の蔵書はオンラインで検索できるのだが、名前の表記が違うと出なくなる。
「スベトラーナ・アレクシエービチ」と「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッッチ」
は、たしかに出版社によって違うようだが、それだけで片方の本が一度に検索できなく
なるのだ。同じように、「手塚治虫」と「手塚治虫漫画全集」では、まったく出てくる
量がちがう。前者は10冊くらい、後者は十倍以上出てくる。著者名もそうだが、タイ
トルが一文字間違えていると出ない。ネット検索なら、近いものが出るし、「もしか
して、これ?」というサービスもある。
図書館独自のソフトなので、そこまでの仕様を求めるのは無理だろうが、うっかり
すると、ここには蔵書がないのかとあきらめてしまいそうになる。
もうひとつ、しょうがないことを書くと、昔に借りた本がなくなっていることだ。
山上たつひこの「光る風」は、まだ公民館の「図書室」だったころに読んだことが
あって、久しぶりに読みたくなったけど、いまはどう探しても見つからない。
おそらく古本でしか読めないだろうから、すごく残念だ。漫画本は破損しやすいので、
物理的な理由で捨てられたのかもしれないが、名作なだけに惜しい。